歳時記

杣人の技

梓山 関 初恵

ある日庭にある高い樹の枝を払うことになっのだが、当日クレーン車が来るでもなく軽トラックだけでその杣人が現れた。

杣人はひとしきり周囲の状況を見回ると梯子を使い木の上に登りあの高い場所でバランスを保ち続けながら枝樹を切り落としては、見る見るうちに木を裸にしていく。ひとしきり時間がたつともうかつての面影はもうそこにはない状態になっていた。

最後に根本をチェンーソーで切ると、私が生まれたときからあったその木はなくなっていた。

木が切り倒されて少し感傷に浸っていながらも、その木を切り倒した杣人の技に感動を覚えた。

幼少の頃、木を切り倒す杣人が憎くてしょうがなかったことを遠くに思い出しながら、この杣人の技を伝承する後継者の居ないことにふと気がついて、川上の地で育った杣人の技がまた消えていく今の世相が何と疎ましいことなのだと思う

こぶしの花   
                   
梓山 関 初恵

「今日は蕾のふくらんでいるこぶしを切ったんですよ。泣き声が聞こえるような気がしました。

こんな太い木で50年位かな」と杉山さんが言う。

「まだそのままになっているので枝をとってきましょうか」私は天にも昇る気持ちで「是非」とお願いした。

次の日の夕刻、杉山さんはよくこれが車に積めたもんだと思うほどの大枝を2本と、さらにもっとうれしいことにその木の一番元を丸太で持ってきてくれた。

遠い昔、私がまだ小学生の頃学校へ通う道から50メートルほど入った山裾にこぶしの木が1本あった。それは梓山と秋山の境辺りで、雑木林のはじにたった1本だけあるこぶしだった。その姿ははっきりと記憶に焼きついているが、人でいうと壮年にさしかかった、そんな木だった。毎年花に時季になると「じきに咲くぞ」と学校への行き帰りにどんなに楽しみだったか。

ところがある日の春先"薪き切り"がその林に入ってこぶしの木はほかの木と一緒に切られてしまった。

私は切った"薪き切り"をどんなに憎んだかしんない。まもなくそこは唐松林にかわった。

あれから何十年もたって息子の入学式について行ったとき、大学の構内でこぶしの並木にでっかした。気は若木ででも花をいっぱいつけていて、こんな所で会えるなんてと思いながら、私は初めてこぶしの花を近々とながめた。

杉山さんの持ってきてくれたこぶしは川上の凍みををじっと堪えて、さあ咲くぞという気迫がこっちに伝わってくるような力強い蕾だった。私は枝を分けてうちのそこらじゅうに飾り切り株は玄関に据えた。

今、我が家はこぶしの花のいいにおいに満ちている。